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宍戸元家 (元源嫡子) : ウィキペディア日本語版
宍戸隆家[ししど たかいえ]

宍戸 隆家(ししど たかいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将安芸国国人領主・宍戸氏の当主。安芸国五龍城主。後に毛利氏の家臣となり、毛利元就の娘(五龍局)を妻として一門衆となった。
== 生涯 ==
父の宍戸弥三郎元家(従五位下、左衛門尉、明応6年(1498年) - 永正15年(1518年))は、宍戸安芸守元家の孫に当たり、宍戸氏当主宍戸元源の嫡男であったが21歳の若さで討死した。母(山内直通の娘)は実家である山内家に戻されたが、まもなく妊娠していたことが発覚し、海賊(のちの隆家)が誕生した。
海賊(隆家)は外祖父・直通の下で養育され、成長したのちに宍戸氏に復帰した。元服に際し、大内義隆より偏諱を受けて隆家と名乗る(一説にはのちに主君・毛利氏より「元」の字を受けて曽祖父や父と同名の「元家」を名乗ったとも言われる)。家臣の讒言により、後見役であった叔父の宍戸隆忠を殺害し、因果関係は不明だが伝承では一時失明している。
宍戸氏は安芸国の国人として代々毛利家と争っていたが、毛利元就の次女(五龍局)を妻として迎え、吉川元春小早川隆景らと軍事行動を共にした。特に隆家は伊予国河野氏一族に娘を嫁がせるなど血縁関係を深め、1567年(永禄10年)からの毛利氏の伊予出兵でも河野氏支援に動いた。元就、隆元からも重用され、元就は宍戸隆家を一門同様として扱うように隆元らに命じている。隆家も元就の期待に添う活躍をし、忠節を尽くしたことから、江戸時代以降も宍戸氏は一門筆頭とされた。

隆家は積極的に毛利家との婚姻を進め、次女が吉川元春の嫡男・吉川元長正室に、三女が毛利輝元の正室となっている。また伊予河野氏の最後の当主・河野通軌は宍戸一門の出である。家督は嫡男の宍戸元秀を廃嫡していたため、嫡孫となる宍戸元続に跡を継がせた。
天正20年(1592年)、74歳で死去。墓所は広島県安芸高田市にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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